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| 21.11.07 更新 所用で山口県に帰省した。 そのついでに、すこし時間があったので、錦町(今は岩国市の一部)に山椒魚を見に行った。 川の土手の上にある池には、1メートル弱の大山椒魚が飼われており、これまでにも何度か見に行ったことがある。大正時代から、白木屋という店の井戸で飼われていたもので、その店のご主人が亡くなられてからは、町の観光協会に飼育が任され、金網の張ってある池で、昭和、平成とずっとそこで生きていた。生きた魚、とりわけ、鮎が好物だったようだ。 その山椒魚、名前は「ふじちゃん」というのだが、暗い池にいくら目を凝らしても、姿が見えない。変だなと思ってふと金網を見ると、白い紙がぶら下がっていた。そしてその紙には、「残念なことに、ふじちゃんは、今年の七月、天寿を全うしました。推定年齢95歳」という趣旨のことが書いてあるではないか。 山椒魚は永劫生き続けるのかと思っていたが、寿命というものがあったのだ。人間よりもやや長寿で、90年から100年が寿命らしい。 脇に、河原から拾ってきた石を並べて、粗末な墓が作ってあった。ふじちゃん、さようなら。 山椒魚百年生きて死ににけり * 同じく錦町に金泉山江龍寺という寺があり、そこに、「俊道様」のお墓がある。 幕末から明治にかけて実在したこのお寺の第15代住職で、高僧とも呼べるほどの立派な人だったが、晩年、腰から下の病に侵され、苦しみながら亡くなった。その臨終に際して、「腰から下の病に苦しんでいる人は、自分の死後、酒を二合持って自分の墓に参詣すれば、必ずその病を治してあげる」と言い残して亡くなったそうである。その後、その遺言どおりに、下半身の病に霊験あらたかだったことから、今でもその信仰は続いており、境内の一角にある俊道様のお墓には、お供物のお酒が絶えることがない。 私の実家は、その俊道様から10キロばかり下流で酒の小売店をやっていた(今はもう廃業した)が、母親の話では、俊道様へ参る人がよく立ちより、2合瓶を買って行ったそうである。 私はせっかく行ったものの、お酒を持っていかなかったので、かわりに奮発して500円のお賽銭をあげ、そして、墓の横に置いてあったワンカップの一つを空けて、墓の脇の砂利に撒いた。「俊道様のご遺骸は砂利の下にあるので、お酒はその砂利に掛けてください」と書いてあったからである。男も50過ぎたら、下半身の衰えは免れようがない。お酒を撒きながら、よくよく拝んでおいた。他の人が置いて行った酒ではあるけれども。 なお、唱える文句は「南無俊道大和尚」(なむしゅんどうだいおしょう)である。下半身の病なら何にでも効くそうで、痔や神経痛にも、もちろん有効である。 秋の寺お布施は地酒二合ほど * 私の故郷美川町(今は岩国市の一部)を流れる錦川沿いに、友廻(とんまわし)という地区がある。そこは、錦川の中でも一、二を争う荒瀬だ。江戸から明治、大正にかけて、道路が未整備で、川が主要な輸送手段だった時代、この荒瀬では川舟の転覆が相次ぎ、多くの水死者を出した。ダムのなかった当時、今よりもはるかに水量が多く、また、少々の増水時にも、舟を出していたことにもよるのだろう。 赤いチャートの大岩の間を、急流が流れることから、赤瀬と呼ばれるその岩場の上には、そうした水死者の供養塔が立っており、毎年春と夏の二回、大般若(だいはんにょう)と呼ばれる供養祭が行われている。 その供養碑の前に立ち、川を見降ろしてみた。赤い大岩の間に川は穏やかに淀み、暴れ川を感じさせるような雰囲気はみじんもなかった。 赤岩に滾(たぎ)つ水泡(みなわ)や大般若 |
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